海洋磯釣俱楽部&サーフメイズJAPAN事務局ご案内

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更新2025,皆さん こんにちは 毎日の お仕事 たいへん お疲れさまです mujik 福原トランペット (スターダスト) No.14 

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サーフメイズJAPAN事務局  3 2  1
機関紙サーフメイズJAPAN2025.3.4月.No.356号 無料配布配信中です。遊びに来た方(公財)日本釣振興会のチラシ ポスター ステッカー ゴミ袋 プレゼントします。〒824-0015 福岡県行橋市元永247-4代表 事務局 上瀧勇哲
2024~2030

    Sports fishing information service Japan 事務局
サーフメイズJAPAN ご案内





                          事務局 上瀧勇哲
2025. ホームページ「サーフメイズJAPAN」ご案内

◎サーフメイズJAPANは、新しいソフトで新規作成、配信しています

皆さん、こんにちは。そして毎日のお仕事に、家事されている、ご家族皆さま、大変お疲れさまです。さて、令和7年、2025年となり、新しくサーフメイズJAPANのホームページを刷新致しました。その上で、古いパソコンのデーターベースを、そのまま挿入する事が、できませんので1からやり直しになりました。特に私のホームページソフトは今、「ホームページビルダー22」。以前は「10」を使っていたので12年間のブランクあり、新しい機能で文章、スタイルを全くの素人、シニアが作るので大変苦労しております。それでも使命感持ち、毎日、毎日、パソコンで遊べているのも事実です。その中で妻の洋子ちゃんが、私の手書き文章を打ってくれます。そして私がデザインから様々なコンテンツを加えながら夫婦で二人三脚、楽しんでいますので、何か気づいた事あれば電話でお願いします。又、色々なアイディア教えて頂ければ助かります。

尚、ホームページの配信は、データー送信会社と年契約し、配信できておりますが、本来なら広告を入れると、もっと良くなるのでしょうが、シニア夫婦が趣味とし、出来るところで、出来るまで配信し、奉仕のハートで続けますので、どうぞよろしくお願いします。

◎九州からネット配信するスポーツフィッシング、サービス事業

サーフメイズJAPAN2006年からスタートしましたから、今年で18年になります。ベースは九州礒釣連盟、海洋磯釣俱楽部の活動報告、プログラムにありますが、会員家族のコミュニケーションとしての役割を多く引き出し、釣りで遊ぶファミリーフィッシングの要素をたくさん加え、遊び重視のページから始めました。もちろん九州礒釣連盟と北九州支部といった大きな組織、団体に取り込まれた海洋磯釣俱楽部、会員37人の仲間達と、その家族をまとめてPRする、ホームページであり、又、釣りキチ集団の基本となる釣行会を盛り上げ、仲間を増やす為のページでもありました。

その上で「機関誌、海洋だより」発行から、ただ今は「機関紙サーフメイズJAPAN」とし、充実した内容で継続しながら、アピールできております。

◎サーフメイズJAPAN配信システムは上瀧勇哲、個人のボランティアです

ネット配信する海洋磯釣俱楽部は、コミュニケーション・情報機関としておりましたが、基本的なところは「機関誌 海洋だより」が発端となります。

1976年3月に北九州市若松区、二区公民館で釣りキチの若者達16人で結成された海洋磯釣俱楽部は、平凡な、何処でもあるような趣味の釣りクラブでした。そのクラブが1977年3月、九州礒釣連盟が創立されましたので、全員加入し海洋磯釣俱楽部が見違えるように変革していきます。先輩釣りクラブの良いお手本を、たくさん吸収し、更に釣りマナーアップ、クリーンアップをテーマにした内容は、先輩達の強い意志を継ぎ、急成長して行くのが1980年代でした。

釣り人3000万人いた、この時代は北九州地域に350店以上の釣具店があり、急成長していた釣りブームに乗っかかり、海洋磯釣俱楽部も毎週のように遠征釣行、釣り大会、月例会、常会。そして上部団体の九州礒釣連盟本部、支部の年間アクションプログラムと、相乗効果により、活力ある釣りクラブとして有名になってきました。


そのようなとき、「機関誌 海洋だより」を発行し、年6~12度の発行で事務局の私と洋子ちゃん、大変でした。それも、これも、若いから楽しめた時代で会員37名にOB会員が、さらに増え60人ほどいましたから1980年~2000年にかけて私達は、ありとあらゆる釣り場巡りを良くしました。私に限って言えば、九州全県を含む、山口県、島根県、四国、愛媛県から高知県まで取材とか雑誌社、テレビ、メーカーさんとの繋がりで、もうハンパない、凄まじいくらい釣りバカを発揮していたと想います。その変換点が2000年となりますが、勤めていた会社が消滅し、行橋市の会社に再就職となり行橋市に引っ越したのが2001年でした。その事で多くの釣友を失いました。
北九州市をベースにしていた時が一番良かったのですが、こればっかりは、そうもいきませんから再出発。それがホームページの始まりで、全国版の釣り仲間組織「サーフメイズJAPAN」のキッカケとなります。


Sports fishing information service Japanは、私が名称した造語です。

スポーツフィッシングとは、私達の大先輩にあたる週刊 釣りサンデーを創刊した小西和人さんの愛用語で、小西和人さんは全日本サーフキャスティング連盟の二代目会長として多くのスポーツキャスティングを取り入れました。陸上競技場でオモリ15号、道糸2号で200m投げれるか、からイメージし、250mまでブッ飛ばす、様々なルールや競技種目を考え、魚釣りでないスポーツとしての釣り分野の裾野を広げた方でもあります。当然、そのような競技には釣り具ロッドに、リール、道糸、オモリなど、色々なところで釣り具メーカー、企業が参画し、新しい釣り具が毎年誕生しました。その最前線で活躍するプロキャスター達が、投げ釣り日本一の競技を全日本サーフ以外の各分野、諸団体が競い合い、今の「投げ釣り」という遊びが大きく広がったと想います。

昔の話しになりますが、先人が築いたスポーツキャスティングを、そのまま引用し「スポーツフィッシング」と「釣り情報」は、私の得意分野で九州全域から沖縄県、山口県、四国まで含めた釣り歩きを稿にし、九州の月刊雑誌、釣ファン、釣春秋、釣紀行、釣りフレンド、週刊釣り太郎など、色々なテーマで投稿していました。しかし、紙文化が衰退し、釣り雑誌社が次々廃刊する2000年。とうとう関西の週刊釣りサンデーも廃刊され、新聞社の釣り記事も極端に少なくなりました。その中で釣り仲間が増え、共有する仲間から情報発信するイメージで「インフォメーション」それを無料で発信するので「サービス」。加えて釣り具メーカーさんが持つインストラクターとかモニター仲間と知り会え、友達になれた釣り人と交友する事で、JAPAN。これ等を合わせ持って「スポーツフィッシング・インフォメーションサービスJAPAN」を略して「サーフメイズJAPAN」を造語にしました。

そのイメージでネットのホームページ配信を始めたのが2006年からです。同等に「機関紙 海洋だより(磯釣俱楽部)」→「機関紙サーフメイズJAPAN」を、紙文化として年6度、発行する事しました。これ等は、全てにおいて私の個人的なボランティアで行っております。釣り具メーカーさん等と関わるスポンサー契約、一切ありません。全てが妻と共同作業で、好き勝手にできる事で、出来るところから出来るまで、新聞とホームページの両輪を無料で行っております。

◎私が配信するSports fishing information service事業

先に紹介したプログラムで、2022年より新しく購入したデスクトップ・パソコンは5台目、ソフト「ホームページビルダー22」を利用したページは、一から作り直す必要がありました。1985年からワープロ・フロッピー。1995年からパソコンになりました。釣りの原稿書きから、釣りクラブの大会資料、事業計画、決算報告、総会議事録など、手書き文字からデジタル文化に沿ったものをインプット。それをコピー機とか輪転機で印刷し、チラシ・新聞作り、会員以外の釣り友達から企業、行政などに配布しておりました。この時代アナログからデジタルに変換された時であり、私達が住む地方はホームページは大企業ぐらい。勤めていた企業でさえ電算写植機にフイルム。カメラやビデオもアナログでした。

私はその先駆けとして、会社が持ってないものを大枚はたいて購入し、自己流で妻と協力しパソコンを上手に使うデジタルに対応しました。フイルムからデジタルに変革したカメラは、2000年になって、やっと1ギガ、2ギガのSDカード。ビデオカメラも、そのようなものに変わりデジタル文化に付いて行くのは大変な勉強が必要。しかも大枚が必要な時代でしたから凄く困りました私達。今では考えられない苦労たくさんあります。

それでも40代になった私、もうヤルしかない。そのようなとき支部会員1200人の九州礒釣連盟の広報部長となり、初めて作る「機関誌北九州支部だより」発行。最初はボランティア。その後、下村要一会長や松井支部長、小路隆、全九州釣ライター協会、そして私のお付き合いのあるポイント、釣研、ボナンザさん、他から広告を頂いて6年間発行。しかし、これも全てボランティア。しかもハードでしたね、何もかも。奉仕では困るのです。パソコン、プリンター、フイルム、印画紙、切手に送料、電話も加えて、マイカーで宅配とか集金も、まるで新聞社がやっている作業を一人で何もかも奉仕でした。

それでベースを固めた6年間で終了。その後、釣り仲間の大道明さんが2年続けてくれましたが、それ以後の「九州礒釣連盟北九州支部だより」ありません。そのような悪いイメージがトラウマのように今あります。しかし、ネット配信のホームページは少々の経費で、有効な情報発信となりますから「サーフメイズJAPAN」「上瀧勇哲のホームスタジオ JAPAN」・「ようこそ海洋磯釣俱楽部」等をスポンサーなしで配信しています。おかげさまで全国各地域からメッセージと、お友達と交信できます。
みんな九州の釣り情報、知りたがっています。良く釣れますからね。

◎サーフメイズJAPANのベースはインフォメーションと釣行紀。

やっぱり、釣れる釣り情報は誰しもほしいものです。そのような情報は、ほとんどスマホで見る動画でしょうか。釣れる、釣りキル、上手な釣り人の動画や映像は多くの方々が見てくれます。料金が必要な場合もありますが、ネット配信する企業と契約した釣り具メーカーさんが、情報と合わせ持って新しい釣り具のPRかね配信し、多くの釣り人が見ています。

しかし、映像は一瞬の出来事。小さなテクニックは中々、伝える事は出来ません。やっぱり細かい文章表現とか仕掛け図に、釣れる環境条件など、状況による変化が、まちまちあり、違います。そして、釣りエサとかマキエサなどの解説や、使い勝手など、細かいところまでのテクニックは、やっぱり先輩と一緒の釣りを、するぐらいの気持ちが必要です。

繰り返し動画を見る事も大切ですが、紙文章と仕掛け図、写真はインパクトがあります。そして、釣れる釣り場。詳しいポイント紹介は、ほとんどカットされます。これは、デジタル社会では普通にあります。やっぱり教えたくないのです。しかし紙文化はキッチリ、ポイント地図で紹介されています。磯釣りポイントは、そのときどきの変化もあり、釣り技術のテーマもありますが、オカッパリは、そんな事ありません。釣れるポイントこそが全てです。ですから私の記事は正直にマイポイント紹介しています。

◎社会における、釣り場環境問題と、釣り人ニーズに応え、きれない自治体。

私が紹介する紙メディア、新聞、雑誌の最後には必ず「来た時よりも奇麗な釣り場」の文章を入れます。そして釣りマナーアップと釣り場美化のテーマです。

別ページでも紹介しておりますが、磯釣りでも、オカッパリでも釣り人が置き去りにしたゴミはハンパないぐらい多く、何処の釣り場でもゴミマナーのテーマはあります。特にオカッパリで良く釣れる釣り場ほど、釣り人のゴミは多くありますから、その釣り場で釣りをしていると、私がゴミを置き去りにした、と想われるぐらい正直、迷惑です。

ほとんどの方はマイカーで釣りに行くので、ゴミは当然のように持ち帰り、できるはずなのですが、どうしてなのでしょうかね、不思議です。特にマキエサを使ったウキ・フカセ釣り。アミカゴ釣り人のゴミが多いのです。釣り人のゴミはすぐに分かります。パッケージに仕掛け糸、弁当ガラにアキ缶が波止にあると、もう釣り人のゴミです。護岸の釣りでも、すぐ前が海。当然、釣り人の仕業のゴミと誰しも考えます。そのような事があるのも当前なのですが、釣り場にゴミ入れボックスがあれば、みんな、そのゴミ入れボックスにゴミを入れてくれます。しかしです、そのゴミ置き場がない。公共のゴミ回収制度がないからです。

地方公共団体はゴミ有料制度でゴミ回収は有料ゴミ袋に入れないと回収しません。大分県や長崎県、福岡県でもゴミ入れアミネットボックスの回収ができているのですが、指定のゴミ袋以外は回収しない、公共のゴミ回収業者達です。(公財)日本釣振興会から頂けるゴミ袋に、釣り場で回収したゴミ1袋、これだけの事で私、対馬の「漁協そばにあるゴミ回収アミネット箱に入れてもイイか」を聞いたらNOです。「お持ち帰り下さい」エエーッです。北九州市から5泊6日かけてキャンピングカー、弁当ガラでますよね。それを、どう処分したらいいのか分かりません。スーパーマーケットも最近ゴミ回収ボックス置いていません。あるのはコンビニぐらいでしょうか。それでも以前はゴミ回収箱が外に置いてあったのが店内に置かれ「一般の方はゴミは入れないで下さい」とかです。これが当たり前のように九州各県どこでもあります。

20年前は、どのような袋に入れてもゴミを回収してくれた自治体。もう以前のような制度には戻らないようです。それで私は(公財)日本釣振興会からゴミ袋を頂き、配布し、自分のゴミはもちろん、釣り場周辺のゴミ回収していますが、これも釣り仲間と私だけ?

◎スポーツフィッシング文化と国民性を問うゴミマナーを考えませんか

私達、魚釣り以外でプロスポーツ観戦、多くします。全てが有料ですが、野球やサッカーは、ときたま見る事ありますが、やっぱり大勢の観客が来て、観て盛り上がり、フーセンが上がり、テンヤ、ワンヤの大騒ぎの私達です。場内でビールや酒、弁当から、何でもありの状況で試合が終わると場内はゴミの山です。これは何処の会場でも同じ。千人から数万人集まる歌やイベント会場。特に食べるといった会場とか、夜空に美しい花火大会や、桜の下の花見会、〇〇会場も一緒。人が集まる所は何処でもゴミの山です。どうしたものか分かりませんが、皆が置き去りするから私も、私も、が、当たり前のようにある社会です。日本人の悪い生活習慣として、とらえてもおかしくない現実と社会環境があります。

その中で釣り人と港湾関係者とのトラブル、色々あります。最悪な事態になると釣り禁止。釣り人シャットアウト。マイカーが入れない、ロープを張られて進入禁止です。以前、国際的なテロ対策としてソーラス条約ありました。その事で、いきなり釣り場の海岸線にフェンスが広域に張られ、釣りができなくなった釣り場、凄く多くありました。

企業が独占してしまう海辺海岸線の、釣り場事情、色々ありますが、職場に関係のない釣り人が来て、職場を荒らす。仕事の邪魔になる事を考えたら、私達、そうもいきませんよね。迷惑な趣味の釣りをしていますから当然です。しかし、それを良い事にして税金で作られた広い公共の海辺護岸に波止や岸壁を企業に漁師、行政が独り占めする事も許せませんね。

考え方、色々あってイイのですが、もう少しオープンに開放してくれてもイイのでは、と想う事、多大ありますが、そのような立ち位置にある私でも市政、市議会、市民による行政、政治家に話しかける事、大切です。

そのようなハンディを背負った私、行橋市、苅田町、築上町、県議会議員の方と仲良くし、そのつながりを持つ「機関紙サーフメイズJAPAN」の配布をしております。多くの釣り人、皆さんから後押し頂き、これからの釣り文化の有様を考え、整え、奇麗な環境で釣りが楽しめ、良く釣れる釣り場作りに後押し、したいと想います。皆さんのご協力、お願い致します。             

           サーフメイズJAPAN事務局 上瀧勇哲


 2025.新 「優しい釣り場環境めざして」

優しい釣り場環境めざして 
   海洋磯釣俱楽部
めた場美化とは

2024.12. 皆さん、こんにちは。そして、毎日のお仕事に、子育てに繋がる家事や、会社の一員として活動する毎日には、人それぞれに、運命共同体の社会があり、JAPAN国家の礎としての、皆さんの毎日がありますね。その上で今日の一日、たいへんお疲れさまでした。 

さて、(公財)日本釣振興会・会員として、お付き合いを始めたのが昭和54年からです。それも個人でなく、海洋磯釣俱楽部、会員19名からスタートを、始めましたので、もう45年ほどになります。海洋磯釣俱楽部の皆さんは、とても釣りマナーが良く、会員皆してゴミマナーアップ、釣り場環境整備を、倶楽部のモットーとして頑張り、活躍しました。